2015年02月19日
石黒由美子女史(元オリンピック選手)講演「夢を諦めない」第一章
2008年の北京オリンピック、
シンクロナイズドスミング日本代表の、
石黒由美子さんが、JCA卒業生の集いで、素晴らしい講演をしてくださいました。
本当に素晴らしい生き方。
私の人生は、この日の講演を境に、確実に変化し始めました。
この感動が伝えることは困難ですが、
今日から、6回に分けて、
私の人生を変えるスイッチとなった講演をテキストにてお届けします。
小学校二年生で、大事故に遭い、障碍者となってしまうも、
お母様との二人三脚と、不屈の精神力で、健常者の生活を送れるようになっただけでなく、
国立大学入学、そしてオリンピック選手に選ばれる偉業を成し遂げた人生。
そして、今なお、輝いている。
通常であれば、誰もが諦めてしまう人生の始まりを、
誰にも成し遂げられない人生の始まりに変えてしまった、
母と娘の二人三脚。
常に夢を持ち続け、
支える人がいて、
そして信じる気持ちで、人生を自分のモノにしてきた壮絶な生き方。
夢を持つこと。
夢を持ち続けること。
その大切さ。
そして、逃げずに立ち向かうこと。
信じる力の真のすごさを、
学びました。
激しい人生を行きて来た石黒さんですが、
それが故なのか、ご本人は、本当に柔らかいお人柄。
そして、大事故に遭われたにもかかわらず、美しい。
生き方だけでなく、容姿だけでなく、心が美しい人が纏う美しさ。
私の人生は、本当に、この日を境に変化し始めています。
石黒さんありがとうございます。
石黒由美子女史講演 (北京オリンピック(2008)シンクロナイズドスミング日本代表)
「夢を諦めない 〜諦めなければ必ず道は開かれる〜」
第一章
事故による人生のリセット
(大きな試練の始まり)
小学二年生(7歳)の時、人生がリセットされた。
大好きだったクラッシックバレーの帰り。
大好きなピンクのバレエ着を着ていた。
雨になったその日、母が迎えにきてくれた。
クルマに乗り込み、シートベルトを着用し、
さあ出発という時に、
前方から、
反対車線に飛び出たクルマが、
時速80キロで正面衝突してきた。
助手席に座っていたが、あまりの衝撃で体は前に吹っ飛び、
フロントガラスに激突、
そして跳ね返り、再び座席に戻ってきた。
母が、叫ぶ。
「由美ちゃん!!!大丈夫?!!由美ちゃん!!!」
口の中は血だらけ、
顔面はガラスだらけ。
指だけ動いたので、オーケーマークを出して安心させてみせた。
救急車を呼べど、たらい回し。
受け入れ先が、あまりの重傷に受け入れ拒否したからだ。
母の叫び声が響く・・・。
「由美ちゃんが死んじゃうー!!!」
死ぬ?
私?
死んじゃう?
母がそう叫ぶのも当たり前。
顔面粉砕骨折。
網膜剥離。
右目のまぶたが飛び散り、
右顔の口は、耳まで裂けていた。
顔面は540針、口の中は260針を縫い、三日後に意識を取り戻した。
暗い室内を不安に思い、
「電気をつけて」と言った。
「由美ちゃん、電気は付いているのよ。」と母は言った。
目が見えなかったのだ・・・。
そして、驚くことが判明した。
事故以前の記憶が失われていた。
記憶喪失、
顔面麻痺、
難聴、
視力障害、
学習障害、
記憶障害、
三半規管異常。
右目は、まぶたがちぎれてしまっており、開いたまま閉じることさえ出来ない。
医者も含めて誰もが諦めた。
一生元の体には戻れない。
誰もがそう、思った。
たった一人、母親だけが諦めなかった。
赤ちゃんが、生まれてきたと思って、悲観することなく育てよう、
そう思ってくれた、母だけが、諦めなかった。
しかし、現実には、記憶は消えてしまい、絶望的なの障害と傷だけが残っただけだった。
本当に、人生はリセットされてしまったのだ。
第二章に続く・・・。
シンクロナイズドスミング日本代表の、
石黒由美子さんが、JCA卒業生の集いで、素晴らしい講演をしてくださいました。
本当に素晴らしい生き方。
私の人生は、この日の講演を境に、確実に変化し始めました。
この感動が伝えることは困難ですが、
今日から、6回に分けて、
私の人生を変えるスイッチとなった講演をテキストにてお届けします。
小学校二年生で、大事故に遭い、障碍者となってしまうも、
お母様との二人三脚と、不屈の精神力で、健常者の生活を送れるようになっただけでなく、
国立大学入学、そしてオリンピック選手に選ばれる偉業を成し遂げた人生。
そして、今なお、輝いている。
通常であれば、誰もが諦めてしまう人生の始まりを、
誰にも成し遂げられない人生の始まりに変えてしまった、
母と娘の二人三脚。
常に夢を持ち続け、
支える人がいて、
そして信じる気持ちで、人生を自分のモノにしてきた壮絶な生き方。
夢を持つこと。
夢を持ち続けること。
その大切さ。
そして、逃げずに立ち向かうこと。
信じる力の真のすごさを、
学びました。
激しい人生を行きて来た石黒さんですが、
それが故なのか、ご本人は、本当に柔らかいお人柄。
そして、大事故に遭われたにもかかわらず、美しい。
生き方だけでなく、容姿だけでなく、心が美しい人が纏う美しさ。
私の人生は、本当に、この日を境に変化し始めています。
石黒さんありがとうございます。
石黒由美子女史講演 (北京オリンピック(2008)シンクロナイズドスミング日本代表)
「夢を諦めない 〜諦めなければ必ず道は開かれる〜」
第一章
事故による人生のリセット
(大きな試練の始まり)
小学二年生(7歳)の時、人生がリセットされた。
大好きだったクラッシックバレーの帰り。
大好きなピンクのバレエ着を着ていた。
雨になったその日、母が迎えにきてくれた。
クルマに乗り込み、シートベルトを着用し、
さあ出発という時に、
前方から、
反対車線に飛び出たクルマが、
時速80キロで正面衝突してきた。
助手席に座っていたが、あまりの衝撃で体は前に吹っ飛び、
フロントガラスに激突、
そして跳ね返り、再び座席に戻ってきた。
母が、叫ぶ。
「由美ちゃん!!!大丈夫?!!由美ちゃん!!!」
口の中は血だらけ、
顔面はガラスだらけ。
指だけ動いたので、オーケーマークを出して安心させてみせた。
救急車を呼べど、たらい回し。
受け入れ先が、あまりの重傷に受け入れ拒否したからだ。
母の叫び声が響く・・・。
「由美ちゃんが死んじゃうー!!!」
死ぬ?
私?
死んじゃう?
母がそう叫ぶのも当たり前。
顔面粉砕骨折。
網膜剥離。
右目のまぶたが飛び散り、
右顔の口は、耳まで裂けていた。
顔面は540針、口の中は260針を縫い、三日後に意識を取り戻した。
暗い室内を不安に思い、
「電気をつけて」と言った。
「由美ちゃん、電気は付いているのよ。」と母は言った。
目が見えなかったのだ・・・。
そして、驚くことが判明した。
事故以前の記憶が失われていた。
記憶喪失、
顔面麻痺、
難聴、
視力障害、
学習障害、
記憶障害、
三半規管異常。
右目は、まぶたがちぎれてしまっており、開いたまま閉じることさえ出来ない。
医者も含めて誰もが諦めた。
一生元の体には戻れない。
誰もがそう、思った。
たった一人、母親だけが諦めなかった。
赤ちゃんが、生まれてきたと思って、悲観することなく育てよう、
そう思ってくれた、母だけが、諦めなかった。
しかし、現実には、記憶は消えてしまい、絶望的なの障害と傷だけが残っただけだった。
本当に、人生はリセットされてしまったのだ。
第二章に続く・・・。
Posted by m s j 松下自動車 at 00:00
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