2014年07月09日
野口健 講演「目標をもって生きる喜び(歓び)」
アルピニスト 野口健
「目標をもって生きる喜び(歓び)」
16歳の時、ヨーロッパ最高峰のモンブラン登頂成功。
・なぜ、登山以外の活動にまで、幅を広げているかの質問を受ける。
いろいろな山に行く。
山は、野口のとっての現場である。
現場では、自分の目で見ること。
行く前に、いろいろなデータを検索して、頭に入れて行く。
そうすると、知っている気になる。
しかし、現場は、生々しく、手触りがある。
そこで、
情報は、真っ平ら、であることに気がつかされる。
現場に行って、見て、知ってしまって、そうして動き出すのだ。
・きっかけ
高校時代、ぐれてしまっていて、暴力事件で停学。
その時、ふらっと入った書店で、植村直己さんの本がたまたまぴーんと来た。しかし、その時には、購入しなかった。
次に行った時にも、ぴーんときて、確信した。
購入した。
植村さんには、コンプレックスがあったのではないか。
今、自分に出来ることは何だろう。
そこを原点に、コツコツと積み重ねていることが、日本で初めて、といった結果に繋がって行ったことを知った。
今も、奥様と会うと、植村さんは、地味な人だったと言う。
・父親
父親が、"お前が何かを得るかもしれない"と思い、ピッケルを買ってあげた。
モンブラン登頂したりして、いい気になってるような気がする。
自分一人で登頂しただなんて思うな。
俺がお前に投資したからだ。
野口氏は、18歳の時に父親からこれを言われ、"言われてみれ"そうだな"と腹落ちした。
父親から、「お前の冒険は、これからの資金集めから始まる。」と言われた。
そこで、兄のワープロを借りて、企画書を作って、いろんな企業に訪問を重ねた。
ある企業で、いきなり、企画書を破かれて怒鳴られた。
君にとってのエベレストは、君のお遊びだ。
ふざけるなと怒鳴られた。
悔しかったが、帰りの電車で、その通りだと気がついた。
自分が行きたいと言う気持ちを伝えているだけで、相手にとってのメリットを一切考えていなかった。
相手の企業のことすら知りもしない。
どうしたら、自分の夢を相手の夢にしてもらえるのか。
相手の夢と、自分の夢が重なり一つになるような、そんなことを一生懸命考えるようになった。
・富士山の清掃
どこのセミナーに行っても、7大陸制覇の話ばかり求められる。
どうやって、嫌なゴミ拾いに、どう喋ったら関心をもってもらい、ともに活動してもらえるのか?
今では、5合目より上には、ほとんどゴミがない。
・23歳 初めてのエベレスト挑戦、初めて記者会見
6大陸を制覇して、いよいよエベレスト挑戦。
ヒマラヤに登頂する前の初めての会見。
マスコミは、「自信がありますか?」ばかりばかり聞いてくる。
「そら自信がなければ行かないですよ!」
と違和感を感じながら、ムキになって言ってしまった。
・自信
自信などあるわけがない。
例えば、雪崩が起きたりしたら、誰でも死んでしまう。
毎年行くが、自信などない。
低酸素症、つまり高山病にならないように、ベースキャンプで軽く症状を発して、登ったり降りたりしながら、2カ月かけて体を慣らして行く。
我慢我慢の連続で、そこに攻めが入るのだが、自分が見えなくなり、早く勝負をかけたくなる。
7000mあたりの第三キャンプで、頂上が近くに見えてしまい、トライして、遭難。
意識を失い、5時間後にシェルパに助けられるが、ひどい凍傷、脳浮腫、肺水腫となり、一命をとりとめた。
・逃亡、自信。成功とは?
日本に帰国後、朝から入院する旨を大学に伝えたところ、午後から記者会見がセッティングされているので、困ると言われた。
困るのは、失敗した自分であり、とにかく逃げようとした。
具合が悪いことを縦にして、逃げようとした。
そこで、担当者から逃げてはダメだと見透かされてしまい、逃げると次は、何倍にもなって襲いかかってくる、と脅されて会見を開くこととなった。
失敗失敗とやたら言われて、カチンときた。
周囲から、お前にはまだ早いと言われ続けて、そして成功し続けてきた。
自信があった。
しかし、結果は失敗。
ギャフンと言わされた。
何故か、根拠のない自信であった。
自分は、天才だと思っていた。
何故、では、成功してきたのか。
若さと勢いと運がかさなると、物事が上手く行くことがあるが、上手く行くことばかりではない。
記者会見しているうちに、失敗に向き合うことで、何がじぶんに欠けていたのか?何をすべきであったか、そうした分析が自然と出来てしまった。
そして、二度と行かないと決めていたヒマラヤ挑戦を公言してしまった。
一瞬の成功、一瞬を生きる、ということと、
最後まで行き切ると言うことは、違うことにきがつかされた。
挑戦するのは、怖い。
しかし、逃げてしまうことも怖い。
どちらに行っても怖い。
行くことを決意して、自分のスケジュールを決め、再挑戦した。
・二度目のエベレスト
二度目の登頂は、本当に丁寧に挑戦した。
しかし、目前で肌で違和感を感じた。
山頂を見上げると、どす黒い雲が渦巻き始めて、ゴー!と恐ろしい音がし始めた。
スペイン人のパートナーと、どうしようかと二人で相談した。
決断できずに一時間ほど。寒さ徐々に体力が奪われて行く。
その時、次の違和感が、頬を、肌を、触り始めた。
死神の手だった。
以来、何度も訪れることとなる、ゾッとする瞬間。
失敗して帰国したら、また嫌な思い、死んだ方がいいような思いをされる。
しかし、何度も触れられた死神の手は、終わりを感じさせる。
ふと、その時に付き合っていた彼女が、登頂に持って行くように渡してくれた香水の瓶を思い出し、取り出した。
そして、一心不乱に嗅いだ。
そしたら、彼女の声が聞こえた。
「帰っておいで。」
「うん。」
下山した。
皆、がっかりした顔で出迎えた。
自由とは、とても良い響きであるが、自由とは責任を持つということ、に気がつく。
・スペイン人のパートナーは。
スペイン人の パートナーは、遭難した。
登山家は、こんな時何を思うか。
成功はしないでくれ。しかし、無事に帰ってきてくれ。
不謹慎かもしれないが、そう思うもの。
彼は、別のチームに救助されたが、重度の凍傷で、ほとんどの指や右耳をせ切断。両目は、ほとんど失明していた。
・記者会見
「二度目の失敗ですね!野口さん!!」
エベレストは、当時、3割が失敗していた。
しかし、一個一個の挑戦で、白黒つけようとしてくる。
今までの挑戦は、人生の全てだと思っていた。
しかし、人生は、自分が作る自分の作文であり、作品である。
一個一個の挑戦と結果の積み重ね。
51対49。
最後は自分だ。
自分にとって、何を持って、何が成功であり、そうでないのか、の軸をぶれずに持っていれば、世間や周囲に振り回されることがない。
周囲は、焚きつけておいて、ハシゴを外す。
人は成功したいし、認められたい。
人々の自分に対する厳しい言葉の数々。
結果が出ない時に、いろいろな人に言われる厳しい批判。
批判のための批判もある。
全て書き留めておく。
しばらくして見返すと、ヒントがいっぱい詰まっている。
いろいろなアングルで、いろいろな分析をしてくる。
・挑戦はしたいけど、上手く行かなかったことを考えるとこわい。
誰も最初から上手くは行かない。
やって見ること。
そして、長ーく続けること。
〜講義終了、そして感想〜
富士山の清掃は、最初は100人もいなかったが、今は千人を超える。
当初は、誰も彼も、当局である環境省や地元の市町村ですらも相手にしてくれなかった。
とにかく、毎年毎年、小さなゴミを一つ一つ、拾い続けた。
自民党政権の時、環境大臣の小池百合子氏が初めて現場に参加してくれた。
そしたら、これまで無視していた市町村の首長たちは、慌てて駆けつけた(笑)
10年経った。
この富士山の清掃は、今でこそ、マスコミに取り上げあれ、大きなムーヴメントになった。
その活動は小さな小さなゴミを一つ一つを拾い続ける行為の積み重ねの結果だ。
誰もが嫌がるゴミ拾い。
環境問題という、背中に張り付いているが、誰もが見たくなく、誰かがやってくれたらいいと思ってしまう、誰もやってくれない問題。
一つ一つのゴミ拾いが、
その積み重ねが、
人々を、
社会を、
世界を動かすことに繋がって行く。
その中心には、挑戦を続ける野口健がいる。
目標を持つこと。
誰のためでもなく、自分のたった一度きりの人生を生きるため。
生きる歓びは、他でもない自分自身のためにあるのだから。
Posted by m s j 松下自動車 at 13:20
│気になるトピック
この記事へのコメント
あまりに深い内容で、軽々しく感想も書けません。先ずは、私も事務所のゴミを拾うところから始めます。
Posted by 服部勢治 at 2014年07月23日 07:36
元スターバックスコーヒージャパンの社長の岩田松雄さんが「著書で、『「世のため、人のために何かをしたい。」という、人間として本来持つべきミッションがあり、それを実現するために具体的な行動をすることで、外見にその志が滲み出して現れてくるもの』をブランド(一流)として定義されていました。『結果として滲み出てくるもの』。人が見てなくても、人助けをしたり、掃除をしたりする実利のないことを、一流の人は、自然な行動として行う、と。そうありたいものです。
Posted by 松下店長 at 2014年07月23日 13:58